トイレ掃除を一生懸命始めると、不思議と家の汚れ、散らかりも気になり始める。自宅の居間のガラス戸のサンの埃、ダイニングテーブル上の食事に関係のないいろんなものとか・・。
そんなある日、来店頂いたお客様から〝人生がときめく片づけの魔法“という本を教えてもらい、早速アマゾンで取り寄せた。〝近藤麻理恵“という方が書いた本だった。
彼女が説く片付けの魔法の大原則:
①心ときめく物だけを残し、他は全て捨てる(これをやらないことには始まらない!) ②物にはすべて住所を決めて、必ずそこに戻す。
この本には、この二つの事を実行すると必ず出てくる問題、障害への対処法や心の持ち方を彼女のすごくたくさんの体験や事例で分かりやすく説明されていた。この本は初版が2011年とだいぶ前だが、日本に限らず世界で絶賛されナント300万部突破しているらしい。そしてウソか真か、今アメリカでは片付けするのを「kondo-」と言うらしい。
・・でお試しに要らないものを整理してみた。彼女は片付けをお祭りと表現し、実際やるとゴミ袋20,30くらい出るという。確かに家中にいつかは使うと言って、全く使わない品物で溢れているのを実感した。
だいぶ捨ててスッキリしたが本格的にやったら、どんどん出るなあ! やるなら一気にやらねば・・
次女理絵が結婚で家を出て、今は大神母と二人暮らしである。なので大神母に食事、掃除、洗濯とやってもらっているので頭が上がらない。少しでも口答えしようものなら「80も過ぎて、何で息子の食事やら作らなあいかんとかいなね~」などと呟かれてしまう。
そんな時は年寄りのボケ防止には料理を作るのが一番いいらしいよと教えてあげる~♪(笑)
ある日の事、美味しそうなアジのみりん干しを頂いた。確かに食べると美味しいが、減塩している店長大神にはかなり塩辛く感じたので一口で食べるのを止めた。
「まあ~美味しかろうが」 と勧めるので、美味しくないからじゃなくて、塩辛いからと言うと、「そんならキャベツと一緒に食べんね。」・・と。塩分量の問題と言うと
「じゃあ私が食べる。私は血圧の薬を飲んでるから食べられるとよ~♪」 「・・・」 なんでそうなるの?
前にも書いたが、店長大神は10年前に慢性腎炎と診断されて、このままでは今に人工透析になってしまうという恐怖から、初めて真剣に生活習慣の改善に取り組んだ。店長大神みたいな根性なしは切羽詰まらないとダメなんですね~!
現在店長大神がやってること。
① 朝5時過ぎから1時間のウォーキング
雨が降ろうと雪が降ろうと、とにかく毎朝必ず歩く。
② 食べる順番と塩分制限。
最初に野菜をたっぷり食べ、肉魚それから最後にごはん少なめ。
しかし宴会に出掛けた時は食事制限フリー(笑) 塩分制限は基本ラーメン、梅干しを食べない・・みたいな感じ。
やっている事は大した事ないが徹底的にやっている・・つもり。
ウォーキングは体重に変化があろうと、無かろうとお薦めである。体の中で何かが変わっている!(笑) そんな店長大神も歩き始めの1ヶ月は何の実感も無く、こんな事して何になるとかいなとブツブツ歩いていた。しかしある時、ふっと体の変化を感じた。今では歩かないと気持ちが悪いのである。
店長大神が思うに、ウォーキングと早寝早起きで年食って落ちてきた代謝が少しは上がったのではないか⁉ 体重は10年前の75㎏から大きく上下しながら、現在65㎏で落ち着いている。それと共に血圧が下がった。どうも体重の動きに血圧がお供しているみたい(笑)
ウォーキングで調子がよくなったんで、大神母にしつこく勧めると「〇〇さんは歩き過ぎてヒザを痛めて病院通いをしとんしゃあげなよ!」などと次から次へとやらない理由を言って抵抗する(笑) もちろん無理のないウォーキングをお勧めします~♪
店長大神は今年の年末には64才になる。この年になると、いつまでも元気でいられるか、わからんぜ!と、高校大学のクラスやクラブの同級生がやたらと同窓会を企画する。
確かに同級生の中に大病を患った者が増えた。何年か前に還暦を迎え、そろそろ老いを感じ始める世代なのである。
先日、ある先輩が75才の誕生日を迎えられ、後期高齢者になったそうである。でもその先輩曰く 「後期高齢やら、えらい年寄り臭い。75才から85才未満は人生真っ盛りゴールドエイジって呼んじゃりやい!」
至って前向きである。さらに、「そうやなあ85才から95歳未満は上品に生きてもらわなあいかんのでプラチナエイジ。65才から75才未満はシルバーエイジ。お前ら65才未満はハナタレ小僧たい!はははは!」 気合いが違う~♪(笑)
その先輩曰く「、ただ長生きすればいいってもんじゃない。健康に長生きせなあ意味がなかとぜ~」・・・ごもっとなことで!
ビガッド通信でトイレ掃除の事を書いて以来、何人かの口の悪い先輩が来店するなり、「ちゃっとトイレ借りるぜ!」と、トイレに駆け込みをされた。その度に店長大神はドキッとするが、通信に書くとちゃんと監視頂ける。怠け者の店長大神としてはありがたい?・・(笑)
先日はある奥様から、いつも通信を楽しみに読んでいると言って頂いた。彼女も毎朝、トイレ掃除をやっているそうで、「私は素手派!」との事だった。驚く店長大神を見透かしたように「毎日やるとトイレ洗剤は使わなくていいのよ」・・納得!
それを聞いても、店長大神はブラシ派であるが、その奥様を見習って、毎朝、便器の周りから床は四つん這いになって、雑巾で拭いている。前号に一旦綺麗になると後は楽なもんである・・と書いたが、汚れてから手間を掛けるより、綺麗な所を毎日サッと一拭きの方が本当に楽である~♪
ビガッド菜園では、今年は夏野菜のナス、オクラ、ピーマンが上出来だった。ナスは秋ナス狙いで7月の半ばに実がなっているのも構わず、枝をバサバサ落として切り戻した。おかげで9月半ばから10月は「嫁に食わすな」と言われる美味い秋ナスをたくさん食べることが出来た~♪
ナスは水を欲しがる野菜でジャンジャン水掛をして、隣のサツマイモの畝との間に水を貯めた。おかげでとろーりトロトロのナスが出来た。夏の日照りが続くとサツマイモも筋が入るので丁度よかろうと・・おかげで元気に芋づるが栄え、そこら中いっぱいになった。
ところがである。10月に入って、もうワクワクしながらイモを掘ってみると、特大のイモは全く入っておらず、握り拳くらいのイモがわずかで、足の親指くらいの小さなイモばっかりだった。
すぐにグーグル先生に尋ねると・・なんとツルボケらしい。水をやり過ぎてツルばっかり育ち、肝心のイモが大きくならなかったのである(涙)・・・なんとなんとである!
8月の初め、四国の親戚の葬式に参列した。97才のおじい様の大往生である。四国への行程をインターネットで調べると、新幹線を使うと日帰り出来そうである。
当日、いつも通りの4時半に起きて、散歩はお休みして、ちょっと早めの5時半に家を出た。礼服、ワイシャツはスーツバックに入れて手に提げた。
酷暑なので思いっきりラフな服装をしたいが、黒の革靴なので、それに合う紺のポロシャツとグレーのパンツにした。博多駅でお土産を買って時間調整して、新幹線に乗った。岡山で在来線に乗り換え、香川県の目的地に11時頃には到着した。
四国に行く事になった時から、本場の讃岐うどんを食べたいと思っていた。四国で降り立った駅を出ると目の前にうどん屋さんがあるではないか。帰りは時間が読めないので、そのままお店に入った。昼前なのでまだ店内には誰もいない。
「福岡から来ました。どんなふうに注文するのですか?」と尋ねると店のおばちゃんが優しく教えてくれた。駅員さんでも感じたが、四国の方はすごく優しい。やはりお遍路さんを迎える文化でそうなるのかな~♪
お薦めは、やはり〝ぶっかけうどん“だそうだ。タレを少し掛けて薬味を入れて、麺の旨さを感じるのである・・と思う。確かに旨いが讃岐うどん素人の店長大神はかけうどんの方がよかったかな~?
例えになるかわからないが、コーヒーの通だとブラックで飲んで豆の味を楽しむが、素人はミルク砂糖も欲しいみたいな・・(笑)
斎場に着いて、初めて四国のお葬式に出た。ただコロナ禍対応で参列は親戚のみだった。式自体は特段変わった事はなかった。
ただ座席脇に並ぶ福岡の生花の代わりが食料品入りの花籠である。よく見ると、カレーのルーやお菓子、ダシの素などが入っている。親戚がそれぞれにお供えしていると思われる。
火葬場から帰り、初七日法要、精進落としの会食をして解散になるが、店長大神は帰りの時間があるので早めに席を立った。すると大きな手提げ袋をお土産に貰った。
帰り駅の待ち時間に中を覗くと多量の食料品、ビールやお茶、リンゴなんかも入っていた。そしてその中に店長大神がお土産で持って行った〝博多通りもん“を見つけ、あ~そうかと理解した。
みんながお供えした品々をばらして、それぞれお土産で持ち帰るのだ。大神家も法事の時、葬式饅頭や和菓子を親戚で持ち寄って、分けるけど、それを葬式でやるのである。こういうのはそこそこで地方色があるな~♪
最寄りの駅を18時に出て、自宅には22時半くらいに帰り着いた。四国も橋が架かって日帰りが可能になったそうだ。
帰りに時間があれば、四国の〝かけうどん″も食べたいと思ったが、時間がなかった。やはり到着してすぐ駅前で〝ぶっかけうどん“だけでも食べたのは正解だった。今度行ったら、〝かけうどん″食べるぞー!
前原の夏祭りである上町火伏地蔵と老松神社の神輿担ぎは毎年7月24、25日に開催されるが、ご存じの通りコロナ禍の為、2020年からこの3年間中止をした。今年は4年ぶり、一日限定7月25日、久々に開催した。
店長大神は子どもの頃からずっと参加してきたお祭りである。前原の9行政区がそれぞれの神輿を担いで街を廻る。神輿には沿道から水を掛けてもらい、途中いくつもある接待所ではビールや酒が振舞われる。子どもはジュース&お菓子だ~♪
前原で生まれ育っても地域外に出て、神輿を担ぐ者がめっきり少なくなった。店長大神は幼馴染と毎年参加するが、今では締込みをして走る者の中で年頭である。なので同級生で上町中央流の山を取り仕切る(笑)
担ぐのは少数の地元後輩と糸島高校の野球部、サッカー部の生徒さん。締込みが大変で我ら年寄りが手分けして締めてあげる。両部の連中は気合が入っていて気持ちが良かった。ただ3年間中止だった為、今年の高校生全員が初めての神輿担ぎだった。
店長大神は上町中央流の提灯を持って先頭を走る。元消防署跡のスタート地点で待機していると、他所の行政区の山に博多山笠で走ってる者がいるのだろう〝オイサ“の掛け声でやってきた。
若手が 「掛け声は〝オイサ“かいな?」などと騒いでいる。すかさず店長大神は 「なんが~オイサか、ここは前原たい!俺達の掛け声は昔から〝わっしょい”たい、わかったかー!」と意思統一(笑)
今年も前原の住民の無病息災、家内安全・・・ひいては世界の平和と発展を願いつつ、「わっしょい、わっしょい!」と掛け声勇ましく、酔っ払い集団が前原の街を駆け巡るのである~♪